2014/02/23

日本人には熱意がない。

自分のだらけきった生活を反映しているかのように、書く意欲が全くもってなかったこのごろ。むしろそうだと言い切れる。
生活に張りがあると、街中で目にするものに対してアンテナが働くから一つ一つに疑問を持ったり、発見があったりするけど、今はほとんどない。
こういうときにどうするかというと方法は1つで、電子機器から離れる。PCからも、iPodからも、タブレットからも。インターネットって答えがあるものを見つけるにはすごい便利なんじゃけど、一方で想像力を奪ってしまうなぁと感じることがよくある。

自分がネットに縛られている時、空の色を訊かれても答えられないかもしれない。
・・・そんな風にはなりたくないなぁ。自分はまだまだネットに使われている状態じゃなぁ。

話変わって先週の金曜日、ドイツ人の友達とMannheimにあるフードバンクに行ってきた。開店時間の変更があったらしく閉まっていた。とんだ無駄骨だと愚痴を垂れながらNeckar河沿いを2人で歩いた。

そこで彼が言っていたのは、彼女のこと。
彼女はスペインに留学中で、将来は通訳になりたいそう。それなのに、フードバンクに行く前に連絡を取ったら、まだベッドの上で授業をサボっていたらしい。友達曰く、「彼女は旅行とかに興味がないし、授業サボって将来の夢への熱意がないし、彼女が興味もっているのは僕のことだけだ。」と、文句を言っていた。
Mannheim大学はドイツでは有名だし、周りには志の高い人が集まっているから、余計にそれを感じてしまうそうである。

おれは友達になんと言っていいか分からなかったけれど、これは彼女だけじゃなく、日本人に特有の問題な気がする。

進学校に行っている人は、基本的には大学に行く。センター試験があるのもあって、世界旅行や1年間の農業体験をしてから大学へ、という寄り道ができない。大学が決まるまでは試験のために勉強をしなければならないから。そうやって、自分の意志がうやむやなまま一息つく間もなく、次のフェーズへ突入する。高校、大学、社会人、気が休まるときがない。

だから、みんなが行くから大学に行く、それが普通だから大学に行く、こんな風に集団主義の強い日本人は一人になったときに逆に弱い。自分の動機が弱いから、何をして良いか途方にくれる人もたくさんいると思う。一人になったときに休みたいと思う人もいると思う。

その、ドイツ人の彼女も、交換留学という、一休みできて集団圧力から解放されてゆっくりできる環境を味わっているんじゃないかなぁと思うと、一方的に責める気にはなれない。まぁ、もとからそんなタイプの人かもしれないし、真相は2人にしか分からない。受験や就活みたいに、決断をするときがはっきり分かる日本の環境が合う人ももちろんいるだろうし。

でも、日本でもドイツでもけじめをつけて決断を下さなければならない時期は来るわけで、普段から準備していないとだめだ。だから、日頃からウジウジ悩んで自分の熱意が少しでも反応する方に向かって足を踏み出さないと何も決められない。迷ったらある程度やってみる。
モチベーションを高くもて!!と高校時代よく言われたけど、そんなのは嘘っぱちで、モチベーションは火だと思う。努力という薪をひたすら焼べ続けてモチベーションも大きくなる。火には燃料が要る。やる気がなくても、がむしゃらにでも何かしないと火って絶対に大きくならない。

自分はやりたいことがぼんやりとでもあるんじゃし、2年後にはとんでもなく大きな火にしよう。


書いてちょっとすっきりした。吐き出すこと、アウトプットすることはやっぱり大事じゃな。それにしても、自分の表現力、考えの浅さに辟易する。考えを整理することにまだまだ時間がかかる。今は未熟じゃけど、時間が経って見直したときに、なんかうっすいこと書いてるなぁと思えるようになりたいな。

2014/02/12

遠足のおやつ。

今日Aldi(ドイツの大手スーパー)で買い物してるとふと疑問に思った。
ドイツのスーパーに行くと分かるんだけど、日本で言う子供用のお菓子が全然ない。うまい棒とか、チロルチョコとかの、10円20円のちまちましたお菓子が売ってない。1Euro弱ぐらいが最低価格。
だから、ドイツの児童達は遠足の時、どうしてるんだろう。1Euroのお菓子を3つぐらい買っているんかな。でも、1Euroのお菓子ってだいたいみんなで分けられるような物ばかりなんだよな〜。

もしかしたらそもそも遠足なんてないのかもしれないし、おやつ制度がないのかもしれないし、予算制限がないのかもしれない。
もしおやつ制度があったとしてもドイツのお菓子って似たり寄ったりなところがあるから、別々に持ってくる意味もそんなにないのかもしれないけど。笑

おやつがないとしたら、日本では鉄板な、「バナナはおやつに入りますか。」議論もないってことになる。これは哀しい。笑

ちょっと話がそれるけど、街を歩いていたら時折見かけるのが、ケーキかなにかを皿にのせたままアルミホイルで包んでどこかに向かっている人。切って何かの容器に入れれば運びやすいのにと思うけど、それをするのが手間なのと、洗い物が増えるのが嫌なんだろう。機能性を求めるドイツ人らしいと思う。

この上の話をふまえると、500円ぐらいのケーキを切ってアルミホイルに包んで持ってくる児童がいたとしてもなんら不思議ではない。遠足みたいな特別イベントでは手作りお菓子を子どもに持たせるかもしれない。それならば、もはや300円っていう予算は全く意味をなさなくなる。

これは自分の推測の範疇でしかないから、今度ドイツ人の友達に訊いてみたい。
ドイツで小さいお菓子がない理由がわかって、ビジネスの可能性があるんじゃないかと結構わくわくしています。

2014/02/09

おくりびと

今回は映画『おくりびと』のはなし。何度観ても面白い。
本当はずっと書こう書こうと思っていたのだけれど、この映画のメッセージを考えるともやもやが消えなくて、それがやっと腑に落ちるメッセージが浮かんできたから書くことにした。

『おくりびと』は、納棺師の映画。チェリストをしていた小林大悟(本木雅弘)はある日所属していたオーケストラが解散となり仕事を失ってしまう。解散を期に妻の美香(広末涼子)と共に故郷の山形に引っ越しをする。好条件の求人広告に応募し、面接に向かうと佐々木社長(山崎努)に即採用されるが、仕事内容は納棺、いわゆる死者の旅立ちのお手伝いということが判明する。日々葛藤する大悟だったが、死者と関わる中で"死"や"納棺師"について向き合っていく。

何度見ても心揺さぶられ、毎回目が潤んでくるほど本当に素晴らしい。死を扱った映画なのに、ただただ美しい。

でも、今の自分には理解のできないことが多かった。作中で、笹野高史扮する平田正吉が「死は門である。死ぬってことは終わりってことでなくて、新たな世界に旅立つってことだ。」というシーンがある。
正直分からなかった。これは映画の表現が悪いということではなくて、自分がそれを理解できる域に達していないからだ。もしかしたら死ぬまで分からないことかもしれない。

原作である納棺夫日記も読んでみたけど、仏教に無頓着な自分は理解できないことの方が多かった。結局分からないことは分からないまま今も残っている。

それから暇を見つけては本当に、ひたすらこの映画が伝えたかったことを考えていたんだけど、それがやっと分かった。というか、納得のできる結論がでた。
この映画の狙いは、納棺師という職業に携わった男の半生を描くこと。だから、死とはとか親子とはってことが描きたかったんじゃないなとおれは思った。

映画は年齢とか経験によって、感想が変わったりするけど、今度観たときはどんな感想になるんだろうか。今から楽しみだなぁ。

2014/02/06

小さな友情。

更新が遅れました。
常に自分の学んだことを実践に反映させたいと考えながら勉強することこそ意味があるんだよなぁとつくづく感じております。

というわけで、本題。
Mannheimの中心地は京都のように碁盤の目になった、静かで穏やかな街です。
その中心地のさらに中心辺りにKing Pommesというフライドポテト専門店があります。Mannheimで行くならここ!!というほど有名で、いつも揚げたてを食べられます。

昨日、1ヶ月ぶりぐらいに足を運んだら小学生の2人組がいました。1人はゲルマン系、もう1人はアジア系の、ちょっとぽっちゃりした2人の男の子。
財布とにらめっこしながらメニューを決めて、できあがるのを今か今かとそわそわしながら待っている様子に、なんだかとても心を揺さぶられました。大人にとっては当たり前のような10Euroが子どもにとっては貴重な大金。

落とさないように2人で協力しながら持って分け合っている姿にほっこりせずにはいられませんでした。

教訓みたいなものは特に書きたくないんだけれども、日常の小さなことに目を凝らすことができる人間になりたいなぁとつくづく思いました。